浅倉大介と西川貴教の不仲説は本当?それともうわさ?

浅倉大介と西川貴教、2人が出会ったのは1995年、浅倉大輔が発表したソロシングルに西川貴教がゲストボーカルとして参加したのきっかけ。

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その年を境に浅倉大介がユニットaccessの活動休止を発表。
浅倉は西川貴教にカリスマ性を見出し、総合的にプロデュースを手がけることに専念しました。

ちょうど小室哲也率いるエイベックスの歌手たちの活躍が落ち着きを見せ始めた’98年ごろになって西川貴教のスタイルとそのキャラクターから出す曲のすべてがベスト3位に入るという、まさに二人のコラボレーションは90年代後半のJポップシーンの代表的な存在でした。

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1999年に西川はTMRとしての活動を”封印”

しかし、1999年に西川はTMRとしての活動を”封印”します。

なぜ「封印」なのかは謎のまま、表に出さず活動休止。

その同じ年に「TMRevolution」「T.M.R-e」として今度はユニットとして活動を再開しますが
1999年に実質TMRとしての活動を「封印」した後あたりから二人の不仲説があちらこちらで浮上し始めます。

この不仲説にはテレビでの西川のコメントや、インタビューから浮き上がってきたようです。

浅倉大介さんは2001年からソロ活動

その後浅倉大介さんは2001年からソロ活動を再開しますが、ライブやコンサートでソロ楽曲の他に、これまでプロデュースしてきたアーティストの曲を演奏することがあっても
T.MRevolution, T.M.R-eの曲だけは演奏しない、ということが見受けられ、ファンの間で不仲説が濃厚になってきたというわけです。

またその当時、TMRとしての西川貴教さることながら、西川はそのキャラクターや巧みな話術でバラエティーやトーク番組でも引っ張りだこになります。

次第に浅倉大介あってのTMRから、西川貴教あってのTMRのようになっていき、師弟関係があやふやになってきたことも不仲説が浮上した原因のようです。

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音楽スタイルや方向性の違い

数々のインタビューの記録では、はっきりとした感情や特定の人物は上げないにしろ
西川の不満とも取れる、あいまいな発言が取り出されるようになり

一人のアーティストとして本当にやりたい音楽スタイルや方向性と、日本の音楽市場での立ち位置などに不満や葛藤があったとの説もあります。

しかし不仲説はあれど、浅倉大介さんは西川貴教のT.MRデビュー以来現在でも楽曲を提供していました。事務所がらみの問題や訴訟など大きな確執は報道されていません。

ただ総合的なプロデュースという意味では2001年の15thシングル「BOARDING」で終了しています。

西川の自己プロデュースが始まってからは、歌手としての一アーティスト、と作曲家としての一アーティストとして、一線を置いた関係で仕事をしていたようです。

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10年ぶりの共演

2010年には西川の出身地・滋賀県で10年ぶりの共演を果たしたことが話題になりました。
固く抱擁を交わした二人の姿にファンを熱狂したそうです。

お互い年をとって若さゆえのしがらみがなくなり、和解したということかもしれません。

2人は2018年に22周年を迎えまだまだ活躍中です。

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Posted by MIC