怒る時間に価値はある?
怒る感情は単純な理由から
人が何かに対して怒りの感情を持つ行為は、実は単純で自分の考えと相手の考えに大きなズレがあって、それによって自分が損、または不利益を被る恐れがある時に感じるものです。
感じる不利益なことが大きければ大きいほど、怒りも大きく激しいものになるものです。
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誰に対しても当てはまると思うのですが、怒られる方ははっきり言ってあまり気分のいいものではありません。
怒っている方が実は相手のことを思って怒っている場合もありますが、怒ることによって返ってくるものは怒りだけと言っても過言ではないでしょう。
相手が成長してくれることを願って叱ることもあるかもしれませんが、相手から見返りはまずはあなたへの”怒り”が先。感謝されたりするのはまれですし、あってもずーっと先のことでしょう。
誰かに対して「怒る」のは基本的に自分の大事な時間を割いて相手にこちらの不満をぶつける行為。
それに対して相手がどのようなリアクションをとってくるかによって怒った時間が価値あるものになるか、無駄な時間になってしまうのか分かれると思います。
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怒る時間て価値あるの?
もちろん、怒った時間がすべて価値ある時間になるようにする為には、怒る方も感情的にわめき散らしたり、物を破壊したり、相手に暴力をふるって自分の怒りを表現してしまう、ということはしちゃダメですよね。
子供のようなコントロールを知らない怒りかたをするのではなく、どうして自分が怒っているのかを相手に言語を使って理論的に説明できるくらいにならなければ、
怒っている時間というのはただストレスを発散させているだけの時間。
言い換えれば、意味もなく無駄に体の神経系や臓器を動かしているだけの時間になってしまうかもしれません。
怒りが「すっきり」すればある意味価値がある?
ただ、体を動かしているだけで体力を消耗し、気持ちがすっきりするのと同様に、感情的になってわめき散らしたり、暴力をふるう行為もその人にとってはストレスの発散になるので、
それを行なうことによりその人の中で怒りというものが消化される可能性もあるので、それ自体は厳密には無駄な時間とはいえないかもしれません。
でもそんな怒り方では、怒りの矛先を向けられている人にとっては、その時間はただの無駄な時間になります。苦痛を耐えるだけの時間を経験した事のある人も結構いるんじゃないでしょうか。
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怒るのは損?
怒るときは自分の中にある嫌な気持ちを相手にぶつけてそれを解消するためだけに相手を利用するだけなら怒っても損をすることはありません。
これは自分のためだけに相手を利用しているのだからです。それを言い換えるのならば、相手をサンドバックに見立て殴っている行為となんら変わらないのです。
これならば、自分は初めから相手に対して何一つ望んでいないので、自分が損を被ることはその怒っている時間と消費カロリーくらいでしょう。
でもみんな自分の要求を通すために興奮して怒ってしまうことがあります。
この場合ですと自分が怒るつもりはなくても自分の感情をコントロールできなくなり結果として怒ってしまったのかもしれません。
が、それで自分の要求が通るということはまれで、多くの場合は怒ってもただの怒り損で結局は怒った自分の気分が悪くなるのがオチです。
ほんと怒りは不思議な感情です。
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感情に任せて怒ってしまうとは人間ならば誰しもあることですが、感情に任せて何か行動を起こしてもそれがよい結果に結びつくことはまれです。
もしそれで何かを成就させたいのならばどこかの国のように「うそも100回つけばそれが真実になる」という考え方、とにかく自分の要求を通すためにパフォーマンスとして感情を爆発させて怒るというのならば、怒ることによって利益を勝ち取ることでできるかもしれません。
が、それは非常に非生産的な行為だと思います。