隣人は選べないのに選ぼうとして隣人の怒りを買ってしまった

先月のことですが、生まれて初めて警察のお世話になりました。110番通報したのです。
住んでいるのが東京だからなのかはわからないのですが、110番すると警視庁のコールセンターみたいなところに繋がりました。
あらかた状況を話し終えると、すぐ署員が向かうので、待っていて下さいと言われました。
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警察官のトラブルに対する見立ては鋭い
何故110番したかというと、庭の木の枝が折られていたから。
かといって台風や強風、何か物が落ちてきたから、ではなくて明らかに人間がやった感があったのです。
しばらくして来てくれた警察官は状況を観察して、なぜか小声で私に話し始めました。
「こういう問題は、防犯カメラを取り付けてもけっして本当の解決には到りません」
というのです。
その言葉にハッとさせられました。
現場を見た警察官は折られた枝の状況から、すぐに近隣トラブルを直感したようなのです。
推量ですが、かなりの確信度で犯人は近隣の住人でした。そして、そのことは私も分かっていたのです。
ただ、あまりにしつこいのと、普段から接点のない人なので警察に処罰をお願いしたのです。
その警察官の方は一時は警察の力で静かになっても、すぐまた問題が勃発するのではないかと見立てたようでした。
それが、「防犯カメラを付けても解決しない」という発言になったわけです。
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近隣トラブルは一度起こってしまうと解決が難しい
つまり、私自身も努力すべきはしないと、近隣トラブルを解決することは出来ないのだな、ということを悟らされたともいえる一幕でした。
考えてみると私は、近隣トラブルに巻き込まれたくないばかりに、あまりに近隣との関係を避けてきました。
そのことが近隣からの不信感と憎悪を生んでいたことに、思い至りませんでした。
隣人は選べないということわざがあります。
本来選べない隣人を、私は選ぼうとしたから、選ばれなかった隣人の怒りを買った結果が、無残にも折られた庭の木の枝に象徴されているようにも思えたのです。
かといって、苦手な隣人と親しくするのは難しい。そこをどの程度折り合いを付けていくことが出来るか。今年の課題です…