オランダ王妃 結婚式に出席を許されなかった父親とは?

2013年にオランダ王妃になったマクシマさん。もともとはニューヨークで働くバリバリのキャリアウーマンでした。いつ見てもニコニコな笑顔が印象に残ります。

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ウィキペディアとは違う情報
まずはマクシマ王妃の名前の発音ですが、どっちか正しいのだろうと迷ってしまいました。ウィキペディアでは"マクシマ"ですが、その他の日本語記事は「マキシマ王妃」と表記されています。
王妃のスペルに+発音とグーグルで調べてみると、「マクシマ」と聞こえます。なので「マクシマ王妃」と発音する方が正しいようです。多くの人が「キ」と発音するのはコーヒーの名前の影響かもしれませんね。
そして彼女の父親についてですが、日本語のウィキペディアでは
”ホルヘは大量虐殺には一切関与していなかったとの結論が出された。”
とあります。英語版には理由がさらっと書いてあって、マクシマ王妃のお父様はビデラ政権時のあの出来事に ”無知” とか ”知らなかった” と報告したよう。
そんなわけないでしょう(笑 というのが私が最初に思ったことでした。
独裁政権の中の閣僚が ”知らなかった” わけないですよね。。。王様でも誰と結婚しようが自由なはずですが、さすがに人権に非道徳な政治に関わった家族を、王室に入れるのには抵抗があるのも理解できます。
結局はマクシマ王妃はオランダ王室に迎え入れられ、ウィレム王とご結婚されたわけですが、マクシマさんのお父さんは結婚式に招待されなかったそうです。
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インディペンデントの記事
イギリスのオンライン新聞のインディペンデントにはこう書かれていました。
オランダ議会は、
”マクシマ王妃のお父さんは王室の結婚式には「好ましからざる人物」で招待できないけれども、その当時小学生だったマクシマさん自身は何もしていないし、彼女が間違ったことをしたわけではない”
と国家の問題ではなく、あくまでマクシマさん本人を個人として受け入れたということです。オランダさん、すばらしい。
ホルヘさんとは
本名はホルへ・ホラシオ・ソレギレタ・ステファニーニさん

誕生:1928年 1月28日
没年:2017年 8月 8日 (享年89歳)
白血病でお亡くなりました。
’79~’81アルゼンチン農林水産省の副長官をしていました。
ビデラ政権は’76~’81でしたので、ビデラの退陣と共に政界から身を引いたということになりますね。
裕福な農家に生まれて、お父さんが一都市の市長をしていていたよう。
副長官になったのはホルヘが51歳の時で、それ以前のキャリアの情報は見つけられませんでした。政界から引退した後はフード関連の会社の相談役のような地位についたようです。
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マクシマさんの3人の娘さんの”洗礼式”には参加
ホルへさん、娘さんの結婚式には招待されなかったけど、孫の”洗礼式”には参加したそうです。オランダで。

王族の継承者の結婚式は国家行事ですが、洗礼を受けるのはあくまで個人の自由ということでオランダ議会は何の制限も設けなかったそうです。オランダ政府はフェアですね。
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