遠慮は自分の為?相手の為?子供に遠慮はさせない方がいいと思う
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遠慮する子供と聞いて個人的に率直に思うのは、その場の空気を読んで相手に気遣いが出来て偉いなと思う反面、大きくなってから精神面だったり人間関係で不利になったりしないかな?ということです。
普通の子供って基本は遠慮しないと思うのでちょっと心配になったりもします。ガツガツ遠慮なくいろいろ出来て、それが許されるのは子供のうちだけです。そういう時期も必要だと思うのです。
遠慮する子供の性格は元々の本人の性格よりも、育つ環境が大きく関係しているんじゃないかと私は思います。
両親が控えめで、遠慮がちな性格だと子供も親の背中を見て育つのでそういう風になるのは自然なことでしょう。逆に堂々としている親の子供で遠慮がちってあまり見かけないような気もします。
遠慮するという行為は、美徳とされることもあると思うんですが、基本はあまりポジティブに捉われるというのは実際は少ないんじゃないでしょうか。
プラスに働く場合は空気が読めるということでくらいかもしれません。
逆にマイナスに働く場合は、世間からの評価は少し下がるような気がします。積極性が感じられないとか何を考えているのか分からないとか、そういう目で見られることが多いと思います。
本人は遠慮してるつもりでも、相手や周りの人からすると自己主張が出来ない人と見られる可能性は高いんじゃないでしょうか。
そして遠慮することが習慣化して、ほんとに意見を言えなくなる上に、意見を持つことさえしなくなってしまったりする可能性もありかと思います。
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遠慮することと意見を言うことがいつも関係しているとは言えませんが、遠慮には欲求や感情の抑えが含まれていると思うのです。
ほんとにいらない時は「いらない」という言うと、「遠慮してる」わけではなくて「いらない」と自己主張をしてるからいいんだと思うんです。
でも遠慮は、ほんとは欲しいけど辞めときます。みたいな、抑制した意味合いがあります。
どんどん自分の意見を言ってもいいのに、遠慮して自分の言いたいことも言えないという場面も出てくると思います。
それで本人が苦しくなければ、それも個性だと思うので問題はないと思いますが、遠慮していることに本人がつらさを感じていると話は変わってきます。
友達なり、家族なり、恋人なりが少しづつやりたいことや、言いたいことは言ってもいいんだよっていうのを教えてあげてほしいです。
遠慮するというのは、場面によっていいこともあり悪いこともあるといった感じですね。一番大事なのは、どの場面でも自分が辛くない選択をするということだと思います。
「我慢」をしてしまう性格の人、「我慢」をしない性格の人どちらもいますが、一般的に、我慢をするというのは辛いこと、よくないことのように思います。
我慢をすれば、心にストレスを感じてしまいます。
でも、我慢をしないこともストレスになってしまう場合があります。
例えば、腹の立つことがあってそれを相手に言えればいいのですが、言えないと我慢をすることになります。
でも、腹がたったということを相手に言うということも、パワーのいることなのです。相手がどう思うか、それを気にするくらいなら我慢を選ぶという人も少なくないでしょう。
自分が我慢をすれば丸くおさまるなど、我慢が解決方法なのではないかと思ったりもします。
でもそれでは、根本的な解決になっておらず、また同じことが起こってしまったりします。
相手に対しての我慢の場合は、どこまで我慢するか難しいものです。
欲しいものがあるけど、我慢する。食べたいけど我慢する。自分自身の問題での我慢。
物欲や食欲の場合は、我慢できれば偉いので、悪い我慢ではありません。でもそれも、我慢しすぎると心がストレスを感じてしまうのです。
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我慢をせず、自分の欲望のままになってみるというのは、解放された気分になり、心が幸せを感じます。幸せならば我慢など必要のないように思います。
でも我慢をしない人生などありえないのでしょう。
子供の頃、買って買って!とお菓子やおもちゃをねだっても、買ってもらえず我慢をしたことでしょう。幼少期から我慢は始まっています。我慢をすることを親から教わります。
我慢をせず欲望のまま過ごすということは、悪いことにも繋がってしまったりはします。
我慢をすることが偉いとか、悪いとか、言い切れないものがありますが、我慢のできる人間が大人なのでしょう。
自分の心とうまく付き合いながら適度な我慢を覚えたいものです。