遠慮がちな子供、なぜ遠慮するのかは伝えられるように練習するべき
遠慮する子供に心理的な問題があるのでしょうか。個人的にはそこまで気にかけることはないと思いますが、自己主張はするべきという事は子供の内に教えるべきだと思います。
自己主張をしない、出来ないは悪いことではないけどネガティブに捉われることがほとんどだと思うのです。
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遠慮するが習慣になって自己主張が出来なくなってしまう
子供が遠慮しているように見える場合、大きく2つのパターンがあると考えられます。1つは
元々の気質が原因のパターン。
0歳の赤ちゃんを観察していても新しい物に近づくタイプと、怖そうに離れていくタイプ、中間のタイプが分かれています。
2つ目のパターンは
元々「ほしい」「やりたい」など要求が強くなく、遠慮しているというよりはどっちでもいい、という子。
この場合、大人から見ると遠慮しているように見えても、本人は苦にしていないのかもしれません。そうした子の未来には、苦しさは生じない可能性が高いでしょう。
親が出来るサポートとしては、何か意見・主張がありそう、という時を見逃さずに汲み取って、言えたことを褒めると自信になると思います。
「どっちがいいか、決めてみて。」というシンプルな質問を増やすだけでも違いは出てくるものだと思います。
怖いのは、育つ過程で、自分の要求を伝えた時、親や大人の要望と異なる度に頭ごなしに否定され続けた結果、欲求はあるのに、自分を押し殺すクセがついているパターンです。
このパターンの子は、日常的に苦しさを感じる大人になる可能性があります。
意見があっても主張すること自体を悪と感じ、何も言えなくなります。我慢して、空気を読まなければと消耗する大人になる可能性が高いです。
サポートとしては、大きい子なら自分の心のクセに気づいて向き合えるようにする、小さい子なら親や影響を与えている人が関わり方を変えられるようにサポートする、といった取り組みができるといいですね。
正直なところ、遠慮する子供がどちらのタイプか、大人が判断することは困難です。
周囲の大人が「なんだか遠慮する子供だな」と思ったら、対応はどちらのパターンであろうと同じでよいかと思います。
「それは本音なのか、子供の目線で話を聞く」
珍しく意見を言った時に
「頭ごなしに否定せず、気持ちをきいた上で説明する」
その積み重ねで、変化が出てくるのではないでしょうか。
言葉を話せればいいわけではないんですよね。遠慮するにもなぜ遠慮するのかを伝えられるように練習をしなきゃいけません。
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我慢はストレスを生む
日本人の場合、学校などの集団生活をするにあたって、自分のしたいことや言いたいことをがまんせよと言われがちですよね。
集団生活をスムーズに行うには個人的な感情とか欲望を抑えなくちゃいけない、例えば室温が22度となっていれば、風邪をひいていて寒気のするひとが温度をあげてほしいと思っても、我慢せざるを得ないんです。
なぜかというと、他の人は風邪をひいていないし、22度がちょうどいいと思っているからで、そういう意見を言っただけで個人的なわがままと睨まれたりいじめにあったりするんです。
私は実際、窓際の席でまぶしいというほどでもないのに、なぜかカーテンを引いてくれと毎度言われていたとき、何度かの後とうとう断ると、、怒りをあらわにして「ひとりだけのためになによ!」と怒鳴られた経験があり、いまだに忘れられません。
遊びに行ったらそうじさせられた
また、学生の頃に親戚のおばさんの家に遊びに行ったとき、社交辞令で「何かお手伝いしましょうか」と言うと「お掃除してもらおうか」と、直球が返ってきてびっくり。
いえそんなことと断ったら、遠慮していると思われたのか、「その辺を適当に掃いて」と、有無を言わさずカーペットのひいた部屋なのにほうきとちり取りを渡されて、電気掃除機じゃないのかと二度びっくりしたこともあります。
もちろん色々な意味で我慢してお掃除しましたが、家に帰って家族に話すとみんな私と同じ反応で、「いくらなんでもお客さんに対して掃除はないよな」と呆れていましたっけ。
その親戚のおばさんの家って、そういう具合なのであんまり居心地よくなかったです。
おばさんの家族や息子の嫁の愚痴を延々と聞かされても我慢して相槌打ったり黙っていたんですが、普通の人ならば若い子に一方的にこんな話を聞いてもらって悪い(そもそもそんな話はしない)と思うでしょう。
でもこのおばさんは天然と言うか発達障害で相手の気持ちがわからないのか、「話が弾むなあ」とご満悦だったんですね。
私の我慢で円滑な人間関係となり、信頼関係が築ければよかったのですが、こういう人は我慢しても遠慮しても通じない、自分の言うことをなんでも聞くとばかりにマウンティングされちゃうだけでした。
我慢はたしかに美徳だと思うし、ある程度の人間関係や付き合いでは必要なことですが、人と場合によりけりですね。