坂本龍馬と長崎とブーツの関係:あの時代ブーツを履いていたのは彼だけだった?
ブーツなんて今どき誰が持ってても不思議じゃないし、何が特別なん?っと思ったのですが、
なるほど~もしかしたら坂本龍馬が日本人で始めてブーツを履いた人かもしれないってことだったんですね。
ブーツの起源はゲルマン人だとか、日本にはモンゴルから伝わったたとかいろんな説があるみたいなんですが、
スポンサーリンク
日本では明治に入るまでほとんど馴染みのないモノだったので
”なんだあの西側からきた異常に白い人間達が履いているあの草履?は?” とたぶん坂本龍馬は興味深々だったのでしょう。
”おっいいじゃん履いてみよう”と思ったのかもしれませんね。
いろいろ調べてみると外国船を沈没させた後の戦利品だった可能性もあるとか。
それから、どうやら坂本龍馬はかなり新しも好きだったようですね。
今まで、正直あの幕末の武士だとか、長州藩やら薩摩藩やら全然興味なくって、坂本龍馬さんて人が31歳の若さで暗殺されてしまったことも知らなかったんです。
暗殺された理由がいまいちよくわからないんですけど、若くて情熱があって、新しもの好きで、オープンにいろんな事に手を出していた人だったようで、
まだお固い幕府出身のみなさんに嫌われてしまったのでしょうか。
スポンサーリンク
長崎には龍馬のぶーつ像なんていう観光スポットになってる場所がありますね。
また坂本龍馬の残された写真に袴にブーツを履いている姿があります。
いろんな説があって一つは長州藩の高杉晋作からもらったとの説があります。
定かではないんですけど、1865年あたりの時代は長州藩という山口の人達は沖を通るイギリスやオランダ、アメリカ等の外国船をドカンドカン攻撃していたそうです。
なので沈没させた船のその戦利品を新し物好きの龍馬に贈ったのではと言われています。
もう一つは当時取引をしていたイギリス商人のグラバーからもらったのかも?という説です。
でも実は自分でグラバーの紹介で外国人居留地区にあった靴屋で購入したっていう説もあります。
ちなみにこの靴屋で作られたブーツの絵の中に坂本龍馬が履いていたブーツにそっくりの物がありこっちの説の方が信ぴょう性が高いのではと言われてるようです。
何はともあれ、坂本龍馬の人柄が見ませんか?
スポンサーリンク
日本初の新婚旅行坂本龍馬が入った霧島の温泉4選
霧島地区は多くの温泉郷があります。
坂本龍馬とお龍が訪れたとして一番有名なのは霧島の麓の塩浸温泉です。
大きな施設ではありませんが現在では塩浸温泉龍馬公園として整備されています。
なんと18泊したとも言われています。
二つ目は(硫黄谷温泉)
現在の「霧島ホテル」ここの特長はなんと言っても深さ1・4メートルの大浴場、広さにもびっくり。
︎龍馬の時代には無かったスケールです。龍馬にまつわる物も保管展示されています。霧島温泉郷の中では個人的には一番のおすすめです。
次は林田温泉(現霧島いわさきホテル)
霧島温泉郷は昔から小規模の温泉宿はありましたが、現在のような大きな施設が出来るようになったのは鹿児島で路線バス事業を創業した林田氏の観光事業が始まりと言はれています。
薩摩藩主島津忠義が避暑地としていたと言はれています。
4つ目は霧島もみじ谷温泉清流荘
泉質の違う温泉が楽しめます。名前の通り清流のすぐ近くにあり大型ホテルとは趣きが異なります。
料理も鹿児島の食材を使って、又個室で食事が出来る所もありカップルには嬉しい温泉宿です。
霧島地区にはまだまだたくさんの温泉宿があります。又霧島神宮の近くにも多くの温泉宿があります。
龍馬とお龍が入ったかは定かではないですが、時代に名前を残す人のゆかりの場所として、行ってみてもいいかもしれませんね。
あの坂本龍馬が長崎でやっていた⁈日本初の株式会社「海援隊」のビジネスとは?
まず株式会社だったのか、現代のような形式ではないでしょう。
しかし、薩摩藩や長州藩又長崎の商人から支援を受けていた。つまり出資者がいたとされている。個人の自由な組織ではないので会社のような形式であったのは確かです。
社員は幕府機関の神戸海軍操練所の解散に伴い行き場を失った訓練生を中心に脱藩者や討幕支持派等の人が在籍していた。
海援隊の前身は1865年長崎の亀山に(亀山社中)として結成され1867年土佐藩附属の外郭団体として(海援隊)と改称されました。
仕事の内容は外国からの武器や弾薬、物資の輸入や輸送、斡旋。薩摩や長州等討幕派間の武器や弾薬の取引の斡旋、政治的橋渡し等が行われていた。
ビジネスの多くは政治的な色合いがとても強いものでした。
坂本龍馬が暗殺された後は同士が引き継いだそうですが、やっぱりボスがいなくなって、求心力みたいなものが低下したのでしょう、ビジネスはあまり成長しなかったようです。
ですが、しばらく経って同じ土佐藩出身の岩崎弥太郎という男が、坂本龍馬のビジネスを引き継ぎ、今の三菱グループの基礎を築いて日本の財閥の地位を確立したと言われています。
まとめ
もし坂本龍馬が暗殺なんかされずにいたら、日本の政治や経済は今とはちょっと違っていたかもしれませんね。
でも、出る杭は打たれてしまったのでしょうか。
<こんな記事も読まれています>